定時制高校卒業した高校4年生の大学生活~ときどき思い出~

中学校まで優等生で通ってきたのに、県内有数の進学校に進学してはじめての挫折!4年かけて高校卒業した上京先には、想像もできなかった日常が待っていて…………!?学生寮のなかまたちと大学生活のカオスな日常。

感覚のおはなし2

感覚のおはなし1の続き?になっています。

 

友人と自分にしか分からない感覚があるという話しをしました。

 

今回は自分では無く友人が話していた感覚のお話。

友人が言っていた自分にしか分からない感覚は、『聴力と視力が人よりも敏感なこと』『思考回路が人とちがい、故に違う受け取り方をすること』と言っていた。

聴力と視力が敏感であることは話したことはないがなんとなく行動から気づいていた。スマホの画面がいつも一番暗く、他の人の液晶の画面をまぶしがる、家の照明がめちゃくちゃ暗いなど、光に対して冴えているんだと思った。聴力に至っては、イヤホンしたときの音量がすごく小さかったので耳がいいんだなぁと昔から思っていた。ライブハウスのような箱の空間で聞く音楽も苦手だと言っていた。(ここらへんは眠くて曖昧にしか覚えていないのでまた今度詳しく聞こうと思う)

2つ目の思考回路が人と違うというのは、私も自分で知らなかったことに気づかされたことがある。友人曰く、授業で先生が「AはBです」と教える。みんなは「A=B」だと理解する、だけど自分はなぜか「AはBだから、Cなのか」と理解し、全く違う答えを書いたり、先生に聞きに行っても「そもそも根本から違う」と否定されたり、みんなと違うことをやっていたりすることが,昔からあったのだと言っていた。この話しをされて、「え、私も一緒なんだけど!!!」と共感する部分があった。文章や言葉の受け取り方が違いすぎて、先生に「この問題を解いてください」と言われても自分だけ違う問題を解いていたり違う教科書のページを開いていたりしたことが多々あった。周りを見て自分だけ違うことをやっていることに気づくか、途中で先生が言っていることと自分がやっていることがかみ合わなくなって自分が違うことをやっていることに気づく。テストでは全くトンチンカンな答えを書いて、先生に「この問題文の文章は~という意味です」と言われたこともある。それで初めてそういうことを聞かれていたのか!と理解する。友人は自分は人と思考回路が違うということをを小さい頃から気づいていて、大勢の人には分からない感覚だと思っていた。その話を聞いて、「自分も人と少し考える過程が違ったから周りと違うことをしていたのか」と生まれて21年目で初めて気づいた。

人には人の人生

 

安いからという理由でジェットスター取ったら荷物の重さ的に値段はスカイマークと変わらなかった。羽田に行くスカイマークにしとけばよかった。まぁいっか。ちょっと後悔。うん、でも学んだね。荷物が多いときはスカイマーク、手ぶらで行けるときはジェットスターにしようと学んだ。どうも高校4年生です。

 

 

飛行機にもいつのまにか慣れて、離陸前に寝落ちし、気づいたら空の上。きっと今回の飛行機の操縦士は操縦がすごく上手いに違いない。私は今日横浜に帰る。

 

この1週間、色んなことがあった。
特に大きかったのは、家族と向き合ったこと。家族と搭乗手続きで別れるとき、涙を堪えて目を合わせなかった父。21年間のわだかまりを解いて、ようやく再スタートできるような、そんな気がする。

母は、ようやく自由になれたと泣いた。生まれて初めて母がボロボロ泣くところを見た。クリスマスもハロウィンもお祝いしていいことが嬉しいと泣いていた。同時に、こどもたちに七五三をしてやてなかったこと、遠足のお菓子を買ってやれなかったこと、習い事をさせられなかったこと、休日は教会にお参りばかり行って遊びに行かせてやれなかったこと、大事な成長期に食事を制限してしまったこと、たくさんの後悔を聞いた。
私も泣いた。ずっと抱えてきた苦しかったこと、他の人と一緒にできなかったことが蘇ってきて、大学に行った3年間、ずっと親のことが憎かったこと、絶縁しようとしていたことも話した。
だけど後悔はしてほしくなかった。色んな思いをしたけれど、どれも全て経験になり、私のターニングポイントになっているから。全ての出来事が血や肉となり今の私を作っているから。


「もう大丈夫。過去は変えられないし、お父さんやお母さんが愛情だと思ってそう育ててきたことも今なら分かる。お父さんもお母さんも色んな過去や背景があって、縋るものがなくてこの宗教にたどり着いたんだもんね。その背景を無視して、純粋に信仰している人に「神なんて信じるなとか」「宗教やめろ」とか言ってごめん。ずっとお父さんとお母さんのことは嫌いだったけど、親以外のたくさんの人に恵まれてきて、自分のなりたい姿も定まった。過去には戻れないしずっと憎かったけど、3年間悩んで考えて出た答えは、やっぱりお父さんとお母さんが大好きだっていうことなんだ。だから絶縁するとかじゃなくて仲良くしていきたい。私は自分で幸せになりに行くから、今後も見守ってて欲しいし、親と子じゃなくて一人の人として向き合っていきたい」

 

久しぶりに家族5人が揃って、色んな話をした。初めて宗教関係なく行った旅行が本当に楽しかったと父と母は笑った。無論私と弟は全く覚えていなかったけど。父と母の馴れ初め、弟が宗教に入って嫌だったこと(幼少期から弟は食わず嫌いだったが、その理由が肉や乳製品の代わりに出されていた大豆肉や魚が苦手で、ご飯に味噌汁をかけたものしか食べるものがなかったと話していた。)父と母の過去。父は、今は亡き祖父からずっと暴力を振るわれていて、殺したいくらい憎かったという。このままでは祖母と妹にも被害が出ると思い縋る思いで入ったのが宗教だったという。祖父が亡くなる3日前、祖父から電話がかかってきて、母に変わって欲しいと言われたらしい。ずっと祖父を憎んでいた父は、母と電話を変わらず、そのまま切ってしまった。声を聞いたのはそれが最後で、その3日後に家で亡くなっている祖父が発見された。「あのとき電話を変わればよかった」と、ずっと後悔していると父は話した。
母は、4人兄弟の3番目で、年の離れた兄と姉、弟がいる。かなり亭主関白だった家庭で、弟ばかり可愛がられ、女である母は行きたいところにもやりたいこともさせてもらえなかった。そんなとき、20歳でリウマチと鬱になり、母も宗教に縋りに行ったという。


2人の話を聞いて、両親だけではなく人は絶対に色んな過去や背景がある人生を持っていて、自分にも他人にも人生があることを意識せずに会話していたことを後悔した。親しくならないと自分の過去や経験なんて話さないけれど、だから、これからはどんな人にも人生があると思い接していこうと思った。

認める

神奈川に行ってからの3年間、19年間の憎しみをぶつけるかのように、親からの愛を拒否し、半年に一回会っても親の信仰心や今までの過去を全否定していた。

しかし3年間悩みに悩んで、最近気づいたのは、人が好きなものや信じているものを否定している自分がいることだ
自分が同じことをされたら絶縁するのに、自分は同じことを人にしていた

 

素直に信じるものや縋るもの、大切にしたいものがあることは素敵なことだ。


私は親と離れてずっと孤独を感じていた。親からは何ももらっていないのと感じ、親は自分を愛していないと思い込み、自分を大切にしてくれる人も大切にしたいものもなかったような気がした

他の人だってそうだ
はっきりとした信じるものや縋るものが無くて自分を大切にできてない人がいっぱいいる

宗教を肯定するわけではないけど、信じるものがあることは素敵なこと

自分を愛していないから恋愛も人間関係も失敗が多く、自分を責めてはまた自己否定を繰り返し、他人に期待をし、見返りを求め、人からもらう愛や信頼に自分から目隠しをして、「何も無い」といつも泣いていた。


親は今はもう自分に宗教を強要していないし、自分も大切にしたいものをたくさん見つけたし、親だって完璧な人間じゃない。過去のことは変えられないけど、今からのことは作ることができるよね。
ちゃんと向き合うことができる人同士だから

ちゃんと謝ろうと思う
大切にしているものを否定してごめんなさいって
それで、たくさん今までのことを聞きたい。過去のこと、考え方、価値観。たくさん知りたい。今までのことを話し合いたい。分かり合えないこともいっぱいあるし、踏み込んで欲しくないこともお互いあるけど、話さないと分からないから

 

『千の夜を紬ぎ暁になる』

赦すとはなんだろう。
最近のキーワードは赦しである。
あんなに頑なだった私の心が溶けることが、赦すという言葉とよくマッチする感じがする。
完全に溶けたわけではない。けれど、少しずついい方向にに進んでいることは確かなのだ。気がするとかではなく、たしかなことなの。

未だに抵抗も残っている。気持ち悪いともさえ思う。けれど、ちゃんと向き合わなければならない、この事実に。ようやく、時が来る。こうなるまでに何年かかった?18年間の憎しみと怒りを、たったの4年なんかでは許せない。けれど、これも自分の一部なんだから仕方ない。そう受け入れて認められて発信できるようになったのは、この4年間に出会った人たちみんなが「生きるヒント」をくれたから。考え方、価値観、バックグラウンド、感性、感じ方。みんなが私を作った感じがする。それはヒントであって、決して答えではない。私はときどきそれを勘違いして、「〜しなきゃ」と空回りもした。でもだから、思考において一旦立ち止まって考えるようになった。「誰かの“すべき”に乗っ取られていないか?」って。

ちゃんと向き合ってみようと思う。半年ぶりに帰省するたびにどんどん老いている姿に気づいてしまうことがこわい。そうだもうあの時間と姿は永遠ではない、私とこの人たちが生きている時間もきっと残り少ない。

でもあとちょっとだけ頑張らせてほしい。就職活動という大きな節目を迎え、JR東海に就職を決めて、新幹線の運転手になれることが決まったらちゃんと話そう。そうしたらやっとこの重りがなくなる気がする。結局あなたが1番なりたがっていた新幹線の運転手になっちゃった、えへへって笑いながら話すんだ。そして、今いる素敵な恋人を紹介しよう。卒業式には揃って来てくれるだろうか。もし来てくれたら、色んなところをたくさん案内しよう、私が4年過ごした素敵な町を。
そして、新幹線の運転手になったときには1番にチケットをプレゼントするの。自分が運転する東海道新幹線にあの人たちを乗せて、小さい頃の思い出を回顧して、ありがとうって言うんだ。

傷つくことが怖い

恋人と距離を取っていた。

自分の感情がぐちゃぐちゃで、恋愛をして自分が振り回されることがすごく嫌だった。だから恋愛が長続きしたことはなかった。嫌われることが怖くて自分の意見を言えず、好きになってもらえるだろうと思って相手に尽くしてばかりだった。結局自分が疲れるか相手に冷められるかのどちらかで。自分は誰かと一緒にいることは向いてなくて、ずっと一人なのかもしれないと思っていた。


そんな中、初めてこの人の側にいたいと思える人に出会った。自分の意見や感情を相手に伝え、人と向き合うことの大切さを教えてくれた人。友人のときから、冷静に物事を観れること、それを論理的に言葉で言えること、人と向き合おうとする意欲がとても素敵で尊敬していた。そんな人と恋人になれて嬉しかったが、恋人になったらなったで、自分の言いたいことを言いやすくなってしまい、自分の思い通りにならないと感情をぶつけ、期待を裏切られたと勝手に悲しんだ。自分がいかに未熟であったかを思い知らされ、今回はさすがに距離を取った。


距離を取っている間、色んなことをした。

今1番会いたいと思う人たちに会った。ずっと目を背けていた家族との問題に向き合った。色んな人と話して、意見を聞いた。本をたくさん読んだ。恋人を一旦忘れようとした。だけど、思い出さない日は一日もなかった。今日はどうしているのか、体調は良いか、家族の様子はどうかと考えてばかりだった。恋人に執着しているのかもしれないと思った。それと同時に、自分はこの人の隣にたってもいいのか、自信もなくなった。元々自尊心が低くて、自分を満足に大切にできていないのに人を幸せにできる自信がなかった。

感覚のおはなし1

自分にしか分からない感覚がある。

それは霊感でもオーラでもない、自分でもあまりよく分かっていないものだけど。





それはYahoo知恵袋もGoogle先生も教えてくれない。

誰も分からない。自分にしか分からない。

今日は、そんな感覚の話を書いてみようと思う。

これを書いたきっかけは、自分にしか分からない感覚があると10年以上の付き合いがある友人に言ったことで感覚の話で盛り上がったからだ。


まず自分の感覚の説明をすると、色々あるが、1個目は感情を感じるアンテナが冴え過ぎていることだ。2個目は、イメージや映像や絵が頭に鮮明に思い浮かぶことである。3個目は、人や言葉にイメージや色が思い浮かぶこと。

1個目に関しては、自分が物や人に対して喜怒哀楽の感情を感じすぎてしまう。要らない情報と要る情報を選び取れればいいが、どうもアンテナが良く働いて全てのチャンネルを受信してしまうような、そんな感じ。こんな感じで自分の感情が活発なため、最近まで人もそういうふうに感じているんだろうと思い込んでいた。特に悲しみや寂しさなどの感情は自分のことのように感じ、同じように泣き、悲しくなる。普段関わっている人から、ただの通りすがりの人、液晶の向こうから絵まで、その表情や雰囲気から感じるものがあると自分に当てはめてしまう。だから、ずっと感情が忙しい。なのですぐに疲れる。一人になりたくて引きこもってしまう。多分生活してると普通の人より疲れるスピードが早い。それで自分はなんでこんなにも疲れるのが早いのか悩んで落ち込むことも多々ある。調子がいいと思ったら次の日にはめっちゃ調子が悪くなるのもザラだ。最近の言葉で言うとHSPとか心が敏感だとか言うんだろうけど、そういうわけでもないし(認めたくないだけかもしれない)、敏感とか過敏という言葉にあまりいいイメージがないので使いたくない。



2個目。自分の感情や考えていることが言葉では無く映像でしか思い浮かばないことだ。

例えば小学校の図工の授業で「これを使って好きなものを作りましょう」と言われる。そうしたら、大体一瞬で自分の描きたいイメージが思い浮かぶ。その頭の中の映像を、その作品に吹き込むだけ。だから芸術の授業は好きだったし、よく賞を取った。小さい頃から頭の中にkめはあったけど、より日常的に頭の中にイメージがあることに気づいたのは数年前である。あるものを見るだけで一瞬で思い浮かぶ。

このように文章や言葉ではなく絵で表現するのは良い。問題は自分の考えていることや感情でさえもイメージでしか思い浮かばないことだ。いつだってそれは言葉ではうまく言えないもので、「水のようなもの」「繭のような包み込み具合」というような、そんな抽象的な言葉でしか伝えることができない。いつも比喩表現になってしまうのだ。さらに困ったことに、それを言葉で表現することがすごく下手で、自分が考えていることが人に伝わらない。頭の中には映像がくっきり浮かび上がっているのに、言葉にするとなると本当に難しい。言葉にすることが難しいため表現するスピードも遅い。というより言葉で表現できないものなのだ。だから切実に思うのは、メールで画像を添付して相手に送るように、自分が浮かんでいるイメージを相手の頭に直接送信できれば良い、ということだ。

例えば、恋人との距離感で最近悩んだのだが、そのときの感情は悲しいや寂しいではなく『粘土を水に溶かしてドロドロにして、周りは薄暗い湿った宇宙』というイメージだった。これを言っても他の人には伝わらないし、聞いても「は?」と言われるだけだ。だからこそ、自分が感じていることや意見、考え方はその場で頭の中にイメージがあるのに、相手に伝わる言葉で表現することに時間がかかってしまい言うことができず、黙りこくってしまう。結果意見がない人、何も言わない人となりいつも不完全で終わってしまったり相手とギクシャクする。ブログのようにゆっくり時間をかけて言葉を繋いでいけたら良いが、会話はそれが難しい。


3個目。人やものにイメージや色が見えるというのは、視覚ではない。これも頭の中である。視覚で見えるのではなく、頭の中に「黄色」「白」「木漏れ日」と色やイメージが思い浮かぶだけなのだ。『この人のイメージは春夏秋冬で言ったら「冬」』や『朝昼夜で言ったら「夜中」』というような感じ。

今の恋人は、ずっと「綺麗な人」だと思っている。外見が綺麗というわけではなく、その人のイメージが、『森に流れて陽の光を浴びてキラキラひかるせせらぎの水で、その水には不純物が全くない。その水は純粋すぎて何も邪魔されない芯のある強さがあって、硬度が高い』だったからだ。会って喋ってから鮮明にそれが思い浮かぶのだ。だから、いつも綺麗な人だと褒めている。人に色やイメージが思い浮かぶのは、その人が着ている服や雰囲気なども影響しているだろうし、自分の今までの経験則に基づくものも少なからず影響している。実際に色が見える人とは色に対するイメージは全く反りが合わない。だけど思い浮かんでしまうことはしょうがない気がする。

あれから

かれこれ15年ほどの付き合いの友人と2年ぶりに会って、そのときに「そういえばブログ書いてたよね!めっちゃ面白かったのに書いてないの?」と言われ、


そういえばブログ書いてたわ!!!^_^


と思い出し、奇跡的にログインできたので2年ぶり?に書こうと思います。

ブログを書いた当初は大学2年生でしたが、今はもうすぐ大学4年生。状況は就職活動真っ只中で、あの時よりは少しは成長した思います。もう4年生か......相変わらずコロナの状況は変わらないまま2年が過ぎました。

だけど、コロナになったおかげで出会えた仲間も経験もたくさんあります。



今新幹線の車内で暇なので、今の感情について書こうと思います。

いつかこのブログを読む未来の自分へ。

失ってしまうことが怖いくらい素敵な人たちに出会ったね。ずっと1人ぼっちの感覚で、寂しがりやで、でも自分の気持ちはやっぱり素直に言えなくて、でも誰かに甘えたい。そんな不器用で可愛いあなたにも、1番大切にするから、これからの人生を一緒に過ごそうと言われる人に出逢うことができました。JR東海の新幹線の運転手になりたいという夢も出来ました。たくさん悩んで、たくさん泣いて、20年抱えてきた自分にとっては重すぎた荷物を、少しずつ、手放している。そんな気がします。

これからの人生も絶対に楽しいし、しあわせになる予感しかしません。これからも色んな人に出会うし、愛されるし、愛するんでしょう。

あなたは感情が豊かで、人の気持ちがよく分かる、人の感情を自分のことのように思うことができる人です。ときには自分を責めすぎて、こんな性格なんて嫌だ、変えようと思ったこともあったけど、でもきっとこの性格は私のもので、変えることはできません。これはこれで良いんじゃないんですか。

これがわたし。

わたしなんです。

言葉にできない色んな感情も、人に説明しづらい色んな感覚も、全部あなただけのもの。だから、大切にしてね。

そして自分を大切にしてくれる人たちをもっと愛してみるといいね。



私はよく自分を責めすぎてしまうらしい。

自分を悪く思うなとか、あんまり自分を責めるなとか、よく言われちゃうけど、「そんなん簡単にできたらこんなに苦労しないし悩んでないよ」「だって本当に自分が悪いんだもん」って思ってる。今もよく分からない。

未来の自分は、この悩みが少しは解決できているんだろうか。